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時代の置き手紙

歴史に触れたら書き置きます。

カテゴリー「場所」の記事一覧

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会津鎮魂慰霊旅【2日目】

さあ始まりました!会津2日目!

では張り切って容保さまのお墓参り行ってみましょう!(^O^)/




迷 っ た (;^ω^)

こういう時は文明の利器、地図アプリちゃんに聞いてみるに限りますよね


そしたらこの道↑を通って行き止まりを突っ切って山の中進めば着くよ☆
って言われました

マ ジ す か (゚∀゚;)

私のスマホがiPhoneならば、あの無茶ぶり画面を保存出来たのに…っ

自力でなんとか入口に到着




入口から森感がすごい


右の方にご注目


ド━(・(ェ)・)━ン!

いやいや話には聞いていたので覚悟済だし対策もバッチリですよ!(腕ブンブン)
爪と牙からの攻撃は危険だから避けて、鼻に一発食らわせれば倒せるんじゃないかと!(思考が完全に武井壮である)

いないかもしれない熊より、確実大量にいる虫の方が怖かったです←虫嫌い


ひたすら山を登ること10分


この階段を登った先に


松平家歴代藩主のお墓があります


碑石がとにかく大きい!
 

台座が可愛い(*´˘`*)♡
亀っぽいですが龍の赤ちゃんらしいです

容保さまのお墓はここから更に登ったところで


歴代のお墓に比べるとかなり小さめです




会津松平家には御家訓(ごかきん)という、徳川家の親戚として幕府がピンチの時でも絶対に裏切っちゃいけないよ!
という掟があったのです
容保さまはその掟を守り続けて懸命に働いたのに、徳川から見放され、逆賊呼ばわりされ、会津の地を奪われ、謹慎させられるという苦労の多かった御方
とにかく墓前で伝えたかったのは「お疲れ様でした」


こちらは松平家の一族のお墓
容保公の義姉、照姫が眠っておられます


灯籠

下山は、なんかテンション上がっちゃって(笑)
「そうだ!忍者修行だ!三┏( ^o^)┛」って事で
石に飛び移りながら駆け降りたので、2~3分で着きました


道路に面した入り口、めっちゃ分かりやすかったー!(/--)/ズコー


この山を登ってたのかと思うと、そりゃ熊ぐらいいるだろうと( ˙-˙ )ゾッ


しばらく歩いて「会津武家屋敷」という、
その名の通り江戸時代の武家屋敷を復元した施設に行きました



まずは前日お墓参りをした家老、西郷頼母さんのお屋敷へお邪魔しました


家の前には西郷家の養子で、小説「姿三四郎」のモデルになった西郷四郎の銅像があります


入ってすぐあるのは、身分の高い方をおもてなしする為の玄関


御成の間


中に殿がいらっしゃいますヾ(*´∀`*)ノ
しかし似てない(笑)


殿専用の厠
レールが付いていて引き出せるそうです


立派な鯉がいました


お庭


ここから家族の居住スペースなのですが
この部屋は西郷家の女性21人が自刃したところ
実際の現場ではないにしろ、やっぱり空気が重々しかったです


家老の自室
で遊ぶ子どもたちを叱る奥方

ここでいきなりですがナッチョス的日本家屋の萌ポイントを紹介したいと思います(`・∀・´)!



それは縁側のかどっこemoji
文章で説明するのは難しいですが、「まだ縁側、向こうにもあるよ」みたいな期待感と
直角っていう日本家屋らしい角度が好きです


精米所
ちゃんと動いてまして、なるほどそういう仕組みなのか〜と勉強になりました


家族用玄関


台所
使用人達の玄関としても使われていたそうです


屋敷の警護の為に長屋を作って家臣を住まわせたらしいです


一人暮らし用の部屋


物騒な部屋





長屋の奥は資料の展示スペースになってまして
山川捨松嬢の等身大フィギュアや自刃のシーンの再現などがありました


蔵型の博物館
何が展示されてたっけなー?( ̄ー ̄)(笑)


旧中畑陣屋主屋


台所


これは萌えポイント縁側のかどっこがいっぱい!萌!萌!


鶴ケ城にあった茶室もありました


あともうひとつ撮影OKな博物館も




京都見廻組(幕府の警察みたいなもの)佐々木只三郎の墓
会津藩出身で龍馬暗殺の犯人かもしれない人物です
龍馬暗殺の犯人には諸説ありますが、私も見廻組なんじゃないかと睨んでおります|д゚)


端っこに神社もありました
会津天満宮と言って西郷邸にあったものが遷宮されたそうです

あとお土産屋さんとか美術館とかレストランとかいろいろ盛りだくさんな場所でしたemoji


武家屋敷から少し歩いた天寧寺というお寺に、新選組局長近藤さんのお墓があります
(会津藩は新選組のスポンサーなので、土方さんがおねだりしたのでしょう)



会津藩家老、萱野家のお墓もあったんですが、見つからなくて断念
きっと道には見えなかったあの山奥にあったんだろうけど(笑)

さてさて近藤さんのお墓は案内板がたくさんあったので迷わずに辿り着けました
(がっつり登山でしたが)







前日のスペンサー銃を構えた時に八重さんになりきったように
わたくしテンション上がると、なりきりスト(命名)になってしまうのです!(`・ω・´)シャキーン
この時の気分は完全に新選組副長、土方歳三でした(笑)

「随分と山ン中ぁ建てちまったなぁ
…来たぜ、勝ちゃん」

って心の中で呟きながらお参りしてました(笑)

このお墓には遺髪か首が入ってると言われていますが、定かでは無いようで…
もし何も入っていなかったとしても新選組が消滅するその日まで近藤さんの魂は新選組と共に在り続けたんだなぁ
と感じました


右には土方さんの慰霊碑もありました



墓ばっかなので、ここらで会津の秋をお届けemoji


次も墓(笑)
朝から『お墓参り=山登り』だったので、ちょっと覚悟してましたが
普通に人里にあるお寺でした(笑)

大龍寺


途中から鳩が案内してくれました!




新島(山本)八重さんが亡くなる前年、散らばっていた山本家のお墓をひとつにまとめて
墓標の文字を書いたそうです
(でもお父さんのお墓は離れたところにある)


山本という苗字は所縁のある名前なので
もしかしたら御先祖様の可能性もあるかもしれません(。-ω-人)
って事で手を合わせて来ました


お昼ごはんは飯盛山の麓のお店で喜多方ラーメンを食べました


縮れ麺であっさりしてて美味しかったです

もちろんこの日のディナーも安定のコンビニ弁当(笑)


歴史に興味のない人でも名前くらいは知ってると思われる白虎隊
昔、山Pがドラマやってましたよねemoji

会津戦争下、年齢別に編成された部隊で
16〜17歳の少年兵がお城が燃えてると思い(実際には周りの家が燃えていただけ)
敵に捕らえられるくらいなら!と自ら死を選んだ悲話です


飯盛山参道

まずは中腹にある白虎隊記念館に行きました

中の展示は割と雑然としているんですが(笑)
会津出身の人も新政府の人もビックネームが残した書や遺品がところ狭しと並んでいて
心の中でキャー(゚∀゚)とかワー(゚∀゚)とか叫びっぱなしでした(笑)


飯盛山の白虎隊士像はほとんどがお城の方向を見ています


隊士たちが通った洞窟
流れはとても速かったです


さざえ堂

重要文化財に指定されている仏堂で
中が螺旋状の坂道になっていて、同じ道を通らずに昇降できます



もうこれがめちゃくちゃ楽しくて1人ではしゃいでたんですが、カナブンみたいな虫が大量に網にへばり付いていて

楽しいー!(≧∇≦)
ひっ!Σ(゚Д゚)
楽し(≧∇≦)
ひっ!Σ(゚Д゚)
た(≧∇≦)
ひっ!Σ(゚Д゚)∞

ビビリ疲れた…


頂上の天井


横から見たさざえ堂

私が飯盛山に登った日は白虎隊が自刃した次の日でした
(旧暦なので時期は今でいう8月ぐらいですが)

飯盛山で亡くなった白虎隊士のお墓



容保公の慰霊碑

自刃した隊士の中で唯一生き残った飯沼貞吉のお墓

他の隊士とは少し離れた場所にあります

あまり白虎隊については話さなかったそうですが
彼が生き残ってくれたおかげで、私達はこの悲劇を知る事が出来たわけです



自刃した地に立って、会津の街を見渡して
「これが彼らの最後に見た風景か…」と思うと
自然と涙がこぼれました



そしてなりきりスト複合技で
「会津の誇りだ」とか
「なんで死んでしまったんだ」とか
「まだ生きたい」とか
「潔く死にたい」とか
いろんな人の感情が溢れてきて、とにかく悲しかったです


お城もポールが邪魔でしたがちゃんと見えました


下山して向かったのが白虎隊伝承史学館

こちらは先程の白虎隊記念館より雑然感がスゴイ!(笑)
日用品とか割と身近な展示品が多かったんですが
土方さんが宿泊のお礼に置いていった双眼鏡とか、急にスゴイ品がぶっ込まれてきます


入り口にイケメン♡


次は旧滝沢本陣

元は殿様の休息所ですが、会津戦争では大本営となりました




当時の暮らしぶりが分かる展示品


遠州流庭園






銃痕や刀傷が扉など至るところにあって、写真を撮りまくっていると、
閉館時間が近付いていたようで係の方が雨戸を閉めにこられました

焦りながらまだ見てない所を見終わって、閉められた雨戸に目をやると

雨戸にも銃痕が!!!(゚д゚)二枚ぶち抜き!!!
これはレアなものが見れた


最後に八重の桜のオープニングに登場する石部桜を見に行きました

桜の時期じゃないし、日も落ちてきていたので「気付けなかったらどうしよう(´・ω・`)」
と思いながら道に迷っていたら(←笑)


あった

距離があってもフォルムだけで他の木とは別格なのが分かりました


とりあえず見えた方向に進み到着


なんという存在感!
なんという生命力!






普段あまり木が生きていると意識する事はありませんが
石部桜からは生きている気配がビシビシと伝わってきました
桜の花が咲いていたらさぞかし美しいだろうと…
これは春にもう一度訪れたいと思いました



会津若松駅までのバスが行ってしまったばかりだったので、40分くらい歩いて帰りました

夜の駅前

とにかく歩きまくった1日だったー( ´O` )
最終日は筋肉痛で更に歩き周ります(笑)

3日目に続く→

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会津鎮魂慰霊旅【1日目】

今年の大河ドラマ「八重の桜」主人公、八重さんの生まれ故郷である会津

このドラマを見るまでは会津って「白虎隊」と「捨松」と「るろ剣の恵さんの生まれ故郷」(笑)
ぐらいの知識しかなかったのですが
毎週見ているうちにどっぷりとハマってしまい、会津戦争を戦った会津武士と八重さんの生き様を知って
「あの人のお墓参りに行きたいなぁ」
「実際にあの場所を見てみたいなぁ」
+「ハッ(゜ロ゜)うかうかしてたら会津に冬が来てしまう!」
と思って10月上旬に二泊三日で会津へ旅立ちましたemoji



行きは東京から夜行バスに乗り福島まで




郡山で乗り換え


手動ドア!


急に霧が出たかと思えば


5分で綺麗に晴れました!


2時間ほどかけて会津若松駅に到着
ぼっち旅なのでこういうパネルは無人撮影です(笑)


駅には白虎隊の像を大きな赤べこがありました
この赤べこ、ちゃんと首が動きます

っていうか暑っっ!(~Q~;)
誰だ!会津に冬が来るとか言った奴!←
(この日の福島の最高気温30°でした)

最初の目的地は鶴ヶ城

1384年に葦名直盛の城として築城され
幕末、会津戦争では1ヶ月の籠城戦に耐えましたが明治7年に解体
城再建ブームが起こった昭和40年に天守閣が復元されました

お堀を歩いて

城内に神社があったので参拝

どーーーん!

地下から入城

入ってすぐ塩蔵がありました
会津には海がないので越後から輸送してたそうです

中は博物館になっていて、歴代城主の紹介や会津戦争に関する資料の展示などでした
孝明天皇から松平容保公に送られ、亡くなるまで肌身離さず持っていた御宸翰と御製を拝むことができました
御製は詩歌なのですが、信頼できる人が出来て嬉しいよー(*´∀`*)ルンルン♪
っていう孝明天皇の気持ちが伝わってきました
(や!私がそう感じただけでめっちゃ真面目な歌ですよw)
八重の桜で容保公が「これは会津が逆賊ではない証拠になる」と言っていて
なるほどそういう意味でも会津にとっては大事な物だったんだなと思いました

逆に新政府は会津を逆賊にしたてあげた手前、そんなものが存在するのは都合が悪いという事で探し回ってたらしいです

あと印象に残ったのは戊辰戦争の死亡者名簿
名前順に表示してあって自刃したと思われる人にはマークが付いているのですが
家老の西郷家の他にも一族で自刃している家がたくさんあって、いろいろ考えさせられました
山本家のところには八重さんの弟とお父さんの名前もありました

撮影OKの階もありまして



 
 

郷土品の展示などがありました


殿気分が味わえます


お庭の上にお庭番の表記が!(゚Д゚)これは御庭番の仕事場がこの辺ですよって事?

いよいよ天守閣emoji





手前が飯盛山で後ろが磐梯山


登ってみて思ったのは会津は360°びっしり山に囲まれていて天然の要塞みたいだなぁと
この地を攻めるのは西軍も骨が折れただろうと想像に難くなかったです

天守閣を降りてお土産屋さんを抜けたところで、八重さんが主人公の紙芝居が上演されてたので観賞emoji
ここで山本家が3男3女の6人兄弟だったことを知って(゜ロ゜)え!ってなりました
ドラマでは普通に3人兄弟として描かれてたからemoji
確かにあんつぁまと八重さんで17歳差って不自然だなーと思ってた(笑)


フィギュアで再現☆池田屋事件





お庭を散策


会津に匿われていた千利休の息子が建てた茶室
戊辰戦争降伏後、取り壊される予定だったのを市内の茶人が自宅に移築して保存していたそうです


御三階のあった場所
最終日に七日町のお寺で実物を見られました


城を出て向かったのは、鬼の官兵衛と言われた佐川官兵衛の顕彰碑


西南戦争で亡くなられたので熊本県阿蘇の松が植えてありました


八重さんの銅像


マイエンジェル秋月悌次郎の詩碑


次の目的地は大河ドラマ館


その名のとおり大河ドラマ「八重の桜」で使われたセットや衣装が展示してあります

角場(銃の練習場)を再現したエリアでは、レプリカのスペンサー銃の先からレーザーポインターが出てて
角(的)に当てるゲームが体験できましたemoji
右肩を少し上げて銃を乗せ、右手は引き金、左手は筒を下から支える感じで構える
もう気分は幕末のジャンヌダルク(笑)
誰もいなければ「よーく狙って撃ちなんしょ!」って言ってた絶対(笑)
本物より1㎏軽く作ってあるそうですが結構重くて照準を合わせるのが大変でしたが
命中できたのでハンサムウーマンの称号と景品のうちわを頂きましたemoji

あと印象的だったのは前半のポスターに使われていたピンク色の着物

見た瞬間、その存在感とかオーラに鳥肌が立ちました
着物にも魂って宿るんだなぁ


こちらは籠城戦のセットにグリーンバックを使って合成し、ムービーで見られるコーナー


まるでドラマに出ているかのような映像!
隣の人半分消えてるけど(笑)

ちょっとだけ撮影できるところもありました



サイン入スペンサー銃


八重さんの戦闘服


八重さんが詠んだ歌


飛び出し坊やが白虎隊




会津会館っていう大きなお土産ショップ
ここのキャラクターはやえちゃん
他にも八重関連キャラで八重たんと八重さんがいます(笑)


会津会館の向かいに戦争の責任を取って切腹した家老、萱野権兵衛の家の跡


道端に武士道


その横に会津の精神

会津藩家老、西郷家の跡
お城から道路を挟んですぐのところにあり、通勤時間1分の超便利物件だったんじゃないかなぁ

西郷頼母は幕末に活躍した会津藩の家老で
藩主・容保公が京都守護職に就く事を反対したら謹慎させられ
戦争が始まったら長男以外の家族が自決し
城を出て北海道まで転戦するも敗北→謹慎
唯一の家族だった長男も亡くなり、全国を放浪したあと
会津に戻って74年の生涯を終えた。
っていう波瀾万丈なお方
八重の桜では西田敏行さんが演じられてました

西郷家から少し進んだところに会津戦戦争降伏の地がありました

この時、下に敷かれた赤い布を泣血氈と呼んで
悔しさを忘れないために小さく切ってたくさんの人が持ち帰ったといいます
鶴ヶ城に本物が展示されていました


鹿鳴館の華と呼ばれた捨松が生まれた山川家
ドラマでもそうだけど実際の山川家のみなさまとても美形で羨ましい(笑)

お昼ご飯は会津名物ソースカツ丼

カツ丼は美味しかったけど、右上の白い漬け物みたいなのがリンス食べてるみたいで、完食は無理でございましたorz
因みに私、食に興味が無いのでこの日の朝食は駅前の立ち食いそばで、夕食はコンビニ弁当(笑)
それを旅好きの友人に話したら
「ちょ!旅の醍醐味(;´д`)!」ってつっこまれました

藩校、日新館があった場所には天文台の跡だけ残っていました



松陰先生もこれを見たに違いない\(^o^)/←松陰ヲタ

この日新館から程近くに八重さんの生まれた山本家の跡がありました



現在は駐車場になっていました
150年前の面影は全くないけれど家が建ってないので立ち入ることができて良かったです(´∀`*)
看板には昔の地図が載っていて、幼なじみの時尾さん(後の斎藤一の奥さん)の家が近かったのが確認できました

最後はさっき屋敷跡にお邪魔した西郷家のお墓参りに善龍寺へ


竜宮門っていう珍しい山門


奥さんの千重子さんが自刃する前に呼んだ辞世の句があるのですが
その一節から取った「なよたけの碑」というのが立ってます
(写真では右から2番目の若干隠れ気味の石です)


夫婦のお墓


西郷さんの親戚の方が焼け野はらからお骨を拾い集めて作った一族の女性、二十一人の墓

あんまり人様のお墓って撮影しちゃいけないんだろうけど
古くて手入れされていないお墓がたくさんあって、
もしかしたら戦争で会津を追い出されて帰って来れなかった家のお墓なのかもしれないなぁ
と想像して記録しました


このお寺も結構な山の中だと思ったけれども
次の日更に山の中をさまよう事になろうとは、この時思ってもみないのであった…。

2日目に続く→

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旧岩崎邸庭園

各都道府県にも「県民の日」というのがあると思うのですが、東京では毎年10月1日が「都民の日」で
あらゆる文化施設の入場が無料になったり様々なイベントが催されています。

数年前都民の日を利用して、湯島にある旧岩崎邸へ行って参りましたemoji

岩崎家といえば三菱商会(三菱グループ)の創設者、土佐藩出身の岩崎弥太郎さんが有名ですよね

 
もちろんお顔は存じ上げておりますが


ヅカヲタ的には「猛き黄金の国」のイメージ
理事さまイケメソ(´ェ`*)emoji

岩崎邸に行ってから知ったのですが、この建物は弥太郎氏が亡くなってから三菱を継いだ息子の久弥さんが建てたもので
弥太郎氏とは直接関係なかったんですが(土地は弥太さんが買ったらしい)
当時の三菱財閥の力を体感するには充分すぎる物件でした。

 
 自然豊かで緩やかな坂道を登ると・・・

ザ・洋館って感じですね

 

 

 
 

和館もありますemoji完成当時は洋館よりも大きかったそうです
記憶があやふやですが和館でお茶を頂いたような気がします(笑)

残念ながら館内は撮影NGでしたemoji
なので写真がなくて伝えにくいのですが
洋館から和館へ繋がっている廊下がめっっっっちゃ私好みでしたemoji
なんというか今までいた世界とは違う世界に突然入り込んだ感じ?
見えない扉を開いたような?
過去に誘われてるっぽい?
(中二臭いのはご愛嬌w)

洋館ではサンルームが素敵でした
「雨の日はここで洗濯物が干せる!」と思って(笑)

右下のあたりがサンルーム


でも人が多くてサンルームだけの写真が撮れず・・・階段のアップをどうぞ(笑)


庭広ーい\(^o^)/アルパカ飼える!




撞球室(ビリヤード場)なんてハイカラなものまで


庭から見た全体図

三菱のロゴに関する話で、岩崎家の家紋「三階菱」と土佐藩主山内家の家紋「三葉柏」を合わせて三菱にした
というエピソードが好きです

 

武士には大切な家が2つあったんだなぁと(*´∀`*)しみじみ


帰りに湯島天神に寄りました。









 
特にコメントはありません(笑)

あと乗り換えで御茶ノ水を通ったので散歩していたら
ニコライ堂を発見!

ニコライ堂の設計士は岩崎邸と同じ建築家、ジョサイア・コンドル。
コンドルは奥さんも日本人で日本画家の河鍋暁斎に師事し亡くなったのも日本という、日本大好きなイギリス人です。
暁斎は私が一番好きな日本画家なので2人の関係にはとても興味があります(笑)
三菱との繋がりも深かったようで顧問設計士となり丸の内を赤煉瓦造りのオフィス街へと生まれ変わらせました。

しかしニコライ堂、入っていいのか分からず外観のみ撮影(笑)

コンドルに不思議な縁を感じつつ、歴女的にも美術ヲタ的にも充実した都民の日でした(^-^)/

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松陰神社【東京】

第一回目は私の心の師匠吉田松陰先生ゆかりの地、松陰神社についてお話させていただきますemoji

よく「尊敬するする人は吉田松陰先生です!」って言うと
「名前は聞いたことあるけど何した人か知らない」とか「塾の先生でしょ?」と
なんとなーく知ってる方は多いんですが、なんとなくでは勿体ない!
私が伝えたいのは先生の真面目さと破天荒さ(笑)

まずは先生について簡単にご説明



1830年に長州藩(山口県)の下級武士・杉家の次男として生まれ
5歳の時、叔父さんの養子になり吉田姓となります。
もう1人の(松下村塾を開いた)叔父さんにスパルタ教育を受け
兵学者(戦術などを研究する学問)として10歳で藩校・明倫館で教師になり
11歳で藩主に兵学の講義をするほどの天才児に成長。
このお殿様、松陰先生のファンで遊学させたり脱藩しても甘いお裁きで済ませたり。
そのお陰で日本全国を旅し更に経験値を積んだとろに黒船来航!
25歳で弟子第一号とアメリカへの密航を企て黒船に乗り込みますが、国外渡航は禁止されているのでもちろん逮捕、地元の牢獄に送られます。
しかしここでも囚人達と勉強会や句会を開いたり、時には先生の講義に司獄官が参加することもあり盛り上がっていたようです。
なんだかんだ充実した牢獄生活の後、自宅謹慎となり三畳半の部屋に引き篭りますが
じっとしていられる人ではないので身内相手に孟子の講義をしているうちに生徒の人数が増えていき
叔父さんから名前を受け継ぎ、松下村塾を開きます。
松下村塾からは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、吉田稔麿、山縣有朋など幕末明治に活躍した偉人をたくさん輩出しています。
しかし安政の大獄によって江戸の小伝馬町牢獄で処刑されます。享年30。

こう書くと勉強好きな熱い先生って感じですが
老中の暗殺を企てたり、それに反対する弟子たちに「誰も僕の言うこと聞いてくれない!もうご飯食べない!ぷん(´;ω;`)」とか
「高杉くん、お金貸して(´∀`;)」みたいなちょっとダメな部分もあり、そんな人間味も魅力のひとつかなと思います。


先生との出会いは
私が中学生の頃に放送されたNHKのお正月ドラマで、たしか高杉が松陰先生の思い出を語るお話。
内容はもうほとんど覚えていませんが、こんなにも熱く真っ直ぐに生きた人がいたのかと衝撃を受けました。
あと印象的だったのは言い寄ってくる女性に政治か何かの話を延々し続けるっていうシーン。
なんて鈍感で可愛い人なんだ!(゚д゚ )とドハマりしてしまいました(笑)


前置きが長くなりましたが
松陰先生ファンの聖地・東京世田谷にある松陰神社emoji


なんて素敵な駅名なんでしょう(笑)うっとりemoji

駅から真っ直ぐ、徒歩5分ほどで松陰神社に到着


平成23年に工事があり、解体された旧鳥居


新鳥居


手水舎


のところにあった吉田松陰先生像


最近行った時は松下村塾を見守れる場所に移動してました


絵馬

ちなみに私は願い事は書かず家に持ち帰りコレクションとして保存してあります(笑)

夏は風鈴が吊るしてあります(欲しいw)


社殿


石燈篭。32基あり豪華メンバーが奉納されてます


松下村塾の原寸大レプリカ。本物は山口県萩にあります。






先生のお墓へ


桂さんから寄進された鳥居


先生のお墓



いつも先生の墓前で近況報告と先生への愛を叫んでます(笑)

愛ゆえにだいぶボリューミーになってしまいましたemoji
萩の松陰神社にも行っているので、またガッツリ書きたいと思います。


おまけ


神社周辺を散歩中に見つけたアパート。
本気でここに引っ越そうかと思いましたが、世田谷線ちょっと不便そうなので断念しました(笑)

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