時代の置き手紙
歴史に触れたら書き置きます。
会津鎮魂慰霊旅【1日目】
- 2013/12/14 (Sat) |
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今年の大河ドラマ「八重の桜」主人公、八重さんの生まれ故郷である会津
このドラマを見るまでは会津って「白虎隊」と「捨松」と「るろ剣の恵さんの生まれ故郷」(笑)
ぐらいの知識しかなかったのですが
毎週見ているうちにどっぷりとハマってしまい、会津戦争を戦った会津武士と八重さんの生き様を知って
「あの人のお墓参りに行きたいなぁ」
「実際にあの場所を見てみたいなぁ」
+「ハッ(゜ロ゜)うかうかしてたら会津に冬が来てしまう!」
と思って10月上旬に二泊三日で会津へ旅立ちました
行きは東京から夜行バスに乗り福島まで

郡山で乗り換え

手動ドア!

急に霧が出たかと思えば

5分で綺麗に晴れました!

2時間ほどかけて会津若松駅に到着
ぼっち旅なのでこういうパネルは無人撮影です(笑)

駅には白虎隊の像を大きな赤べこがありました
この赤べこ、ちゃんと首が動きます
っていうか暑っっ!(~Q~;)
誰だ!会津に冬が来るとか言った奴!←
(この日の福島の最高気温30°でした)
最初の目的地は鶴ヶ城
1384年に葦名直盛の城として築城され
幕末、会津戦争では1ヶ月の籠城戦に耐えましたが明治7年に解体
城再建ブームが起こった昭和40年に天守閣が復元されました
お堀を歩いて
城内に神社があったので参拝
どーーーん!
地下から入城
入ってすぐ塩蔵がありました
会津には海がないので越後から輸送してたそうです
中は博物館になっていて、歴代城主の紹介や会津戦争に関する資料の展示などでした
孝明天皇から松平容保公に送られ、亡くなるまで肌身離さず持っていた御宸翰と御製を拝むことができました
御製は詩歌なのですが、信頼できる人が出来て嬉しいよー(*´∀`*)ルンルン♪
っていう孝明天皇の気持ちが伝わってきました
(や!私がそう感じただけでめっちゃ真面目な歌ですよw)
八重の桜で容保公が「これは会津が逆賊ではない証拠になる」と言っていて
なるほどそういう意味でも会津にとっては大事な物だったんだなと思いました
逆に新政府は会津を逆賊にしたてあげた手前、そんなものが存在するのは都合が悪いという事で探し回ってたらしいです
あと印象に残ったのは戊辰戦争の死亡者名簿
名前順に表示してあって自刃したと思われる人にはマークが付いているのですが
家老の西郷家の他にも一族で自刃している家がたくさんあって、いろいろ考えさせられました
山本家のところには八重さんの弟とお父さんの名前もありました
撮影OKの階もありまして


郷土品の展示などがありました

殿気分が味わえます

お庭の上にお庭番の表記が!(゚Д゚)これは御庭番の仕事場がこの辺ですよって事?
いよいよ天守閣



手前が飯盛山で後ろが磐梯山

登ってみて思ったのは会津は360°びっしり山に囲まれていて天然の要塞みたいだなぁと
この地を攻めるのは西軍も骨が折れただろうと想像に難くなかったです
天守閣を降りてお土産屋さんを抜けたところで、八重さんが主人公の紙芝居が上演されてたので観賞
ここで山本家が3男3女の6人兄弟だったことを知って(゜ロ゜)え!ってなりました
ドラマでは普通に3人兄弟として描かれてたから
確かにあんつぁまと八重さんで17歳差って不自然だなーと思ってた(笑)

フィギュアで再現☆池田屋事件

櫓

お庭を散策

会津に匿われていた千利休の息子が建てた茶室
戊辰戦争降伏後、取り壊される予定だったのを市内の茶人が自宅に移築して保存していたそうです

御三階のあった場所
最終日に七日町のお寺で実物を見られました

城を出て向かったのは、鬼の官兵衛と言われた佐川官兵衛の顕彰碑

西南戦争で亡くなられたので熊本県阿蘇の松が植えてありました

八重さんの銅像

マイエンジェル秋月悌次郎の詩碑

次の目的地は大河ドラマ館

その名のとおり大河ドラマ「八重の桜」で使われたセットや衣装が展示してあります
角場(銃の練習場)を再現したエリアでは、レプリカのスペンサー銃の先からレーザーポインターが出てて
角(的)に当てるゲームが体験できました
右肩を少し上げて銃を乗せ、右手は引き金、左手は筒を下から支える感じで構える
もう気分は幕末のジャンヌダルク(笑)
誰もいなければ「よーく狙って撃ちなんしょ!」って言ってた絶対(笑)
本物より1㎏軽く作ってあるそうですが結構重くて照準を合わせるのが大変でしたが
命中できたのでハンサムウーマンの称号と景品のうちわを頂きました
あと印象的だったのは前半のポスターに使われていたピンク色の着物
見た瞬間、その存在感とかオーラに鳥肌が立ちました
着物にも魂って宿るんだなぁ

こちらは籠城戦のセットにグリーンバックを使って合成し、ムービーで見られるコーナー

まるでドラマに出ているかのような映像!
隣の人半分消えてるけど(笑)
ちょっとだけ撮影できるところもありました


サイン入スペンサー銃

八重さんの戦闘服

八重さんが詠んだ歌

飛び出し坊やが白虎隊


会津会館っていう大きなお土産ショップ
ここのキャラクターはやえちゃん
他にも八重関連キャラで八重たんと八重さんがいます(笑)

会津会館の向かいに戦争の責任を取って切腹した家老、萱野権兵衛の家の跡

道端に武士道

その横に会津の精神
会津藩家老、西郷家の跡
お城から道路を挟んですぐのところにあり、通勤時間1分の超便利物件だったんじゃないかなぁ

西郷頼母は幕末に活躍した会津藩の家老で
藩主・容保公が京都守護職に就く事を反対したら謹慎させられ
戦争が始まったら長男以外の家族が自決し
城を出て北海道まで転戦するも敗北→謹慎
唯一の家族だった長男も亡くなり、全国を放浪したあと
会津に戻って74年の生涯を終えた。
っていう波瀾万丈なお方
八重の桜では西田敏行さんが演じられてました
西郷家から少し進んだところに会津戦戦争降伏の地がありました

この時、下に敷かれた赤い布を泣血氈と呼んで
悔しさを忘れないために小さく切ってたくさんの人が持ち帰ったといいます
鶴ヶ城に本物が展示されていました

鹿鳴館の華と呼ばれた捨松が生まれた山川家
ドラマでもそうだけど実際の山川家のみなさまとても美形で羨ましい(笑)
お昼ご飯は会津名物ソースカツ丼

カツ丼は美味しかったけど、右上の白い漬け物みたいなのがリンス食べてるみたいで、完食は無理でございましたorz
因みに私、食に興味が無いのでこの日の朝食は駅前の立ち食いそばで、夕食はコンビニ弁当(笑)
それを旅好きの友人に話したら
「ちょ!旅の醍醐味(;´д`)!」ってつっこまれました
藩校、日新館があった場所には天文台の跡だけ残っていました

松陰先生もこれを見たに違いない\(^o^)/←松陰ヲタ
この日新館から程近くに八重さんの生まれた山本家の跡がありました


現在は駐車場になっていました
150年前の面影は全くないけれど家が建ってないので立ち入ることができて良かったです(´∀`*)
看板には昔の地図が載っていて、幼なじみの時尾さん(後の斎藤一の奥さん)の家が近かったのが確認できました
最後はさっき屋敷跡にお邪魔した西郷家のお墓参りに善龍寺へ

竜宮門っていう珍しい山門

奥さんの千重子さんが自刃する前に呼んだ辞世の句があるのですが
その一節から取った「なよたけの碑」というのが立ってます
(写真では右から2番目の若干隠れ気味の石です)

夫婦のお墓

西郷さんの親戚の方が焼け野はらからお骨を拾い集めて作った一族の女性、二十一人の墓
あんまり人様のお墓って撮影しちゃいけないんだろうけど
古くて手入れされていないお墓がたくさんあって、
もしかしたら戦争で会津を追い出されて帰って来れなかった家のお墓なのかもしれないなぁ
と想像して記録しました

このお寺も結構な山の中だと思ったけれども
次の日更に山の中をさまよう事になろうとは、この時思ってもみないのであった…。
2日目に続く→
このドラマを見るまでは会津って「白虎隊」と「捨松」と「るろ剣の恵さんの生まれ故郷」(笑)
ぐらいの知識しかなかったのですが
毎週見ているうちにどっぷりとハマってしまい、会津戦争を戦った会津武士と八重さんの生き様を知って
「あの人のお墓参りに行きたいなぁ」
「実際にあの場所を見てみたいなぁ」
+「ハッ(゜ロ゜)うかうかしてたら会津に冬が来てしまう!」
と思って10月上旬に二泊三日で会津へ旅立ちました

行きは東京から夜行バスに乗り福島まで
郡山で乗り換え
手動ドア!
急に霧が出たかと思えば
5分で綺麗に晴れました!
2時間ほどかけて会津若松駅に到着
ぼっち旅なのでこういうパネルは無人撮影です(笑)
駅には白虎隊の像を大きな赤べこがありました
この赤べこ、ちゃんと首が動きます
っていうか暑っっ!(~Q~;)
誰だ!会津に冬が来るとか言った奴!←
(この日の福島の最高気温30°でした)
最初の目的地は鶴ヶ城
1384年に葦名直盛の城として築城され
幕末、会津戦争では1ヶ月の籠城戦に耐えましたが明治7年に解体
城再建ブームが起こった昭和40年に天守閣が復元されました
会津には海がないので越後から輸送してたそうです
中は博物館になっていて、歴代城主の紹介や会津戦争に関する資料の展示などでした
孝明天皇から松平容保公に送られ、亡くなるまで肌身離さず持っていた御宸翰と御製を拝むことができました
御製は詩歌なのですが、信頼できる人が出来て嬉しいよー(*´∀`*)ルンルン♪
っていう孝明天皇の気持ちが伝わってきました
(や!私がそう感じただけでめっちゃ真面目な歌ですよw)
八重の桜で容保公が「これは会津が逆賊ではない証拠になる」と言っていて
なるほどそういう意味でも会津にとっては大事な物だったんだなと思いました
逆に新政府は会津を逆賊にしたてあげた手前、そんなものが存在するのは都合が悪いという事で探し回ってたらしいです
あと印象に残ったのは戊辰戦争の死亡者名簿
名前順に表示してあって自刃したと思われる人にはマークが付いているのですが
家老の西郷家の他にも一族で自刃している家がたくさんあって、いろいろ考えさせられました
山本家のところには八重さんの弟とお父さんの名前もありました
撮影OKの階もありまして
郷土品の展示などがありました
殿気分が味わえます
お庭の上にお庭番の表記が!(゚Д゚)これは御庭番の仕事場がこの辺ですよって事?
いよいよ天守閣

手前が飯盛山で後ろが磐梯山
登ってみて思ったのは会津は360°びっしり山に囲まれていて天然の要塞みたいだなぁと
この地を攻めるのは西軍も骨が折れただろうと想像に難くなかったです
天守閣を降りてお土産屋さんを抜けたところで、八重さんが主人公の紙芝居が上演されてたので観賞

ここで山本家が3男3女の6人兄弟だったことを知って(゜ロ゜)え!ってなりました
ドラマでは普通に3人兄弟として描かれてたから

確かにあんつぁまと八重さんで17歳差って不自然だなーと思ってた(笑)
フィギュアで再現☆池田屋事件
櫓
お庭を散策
会津に匿われていた千利休の息子が建てた茶室
戊辰戦争降伏後、取り壊される予定だったのを市内の茶人が自宅に移築して保存していたそうです
御三階のあった場所
最終日に七日町のお寺で実物を見られました
城を出て向かったのは、鬼の官兵衛と言われた佐川官兵衛の顕彰碑
西南戦争で亡くなられたので熊本県阿蘇の松が植えてありました
八重さんの銅像
マイエンジェル秋月悌次郎の詩碑
次の目的地は大河ドラマ館
その名のとおり大河ドラマ「八重の桜」で使われたセットや衣装が展示してあります
角場(銃の練習場)を再現したエリアでは、レプリカのスペンサー銃の先からレーザーポインターが出てて
角(的)に当てるゲームが体験できました

右肩を少し上げて銃を乗せ、右手は引き金、左手は筒を下から支える感じで構える
もう気分は幕末のジャンヌダルク(笑)
誰もいなければ「よーく狙って撃ちなんしょ!」って言ってた絶対(笑)
本物より1㎏軽く作ってあるそうですが結構重くて照準を合わせるのが大変でしたが
命中できたのでハンサムウーマンの称号と景品のうちわを頂きました

あと印象的だったのは前半のポスターに使われていたピンク色の着物
見た瞬間、その存在感とかオーラに鳥肌が立ちました
着物にも魂って宿るんだなぁ
こちらは籠城戦のセットにグリーンバックを使って合成し、ムービーで見られるコーナー
まるでドラマに出ているかのような映像!
隣の人半分消えてるけど(笑)
ちょっとだけ撮影できるところもありました
サイン入スペンサー銃
八重さんの戦闘服
八重さんが詠んだ歌
飛び出し坊やが白虎隊
会津会館っていう大きなお土産ショップ
ここのキャラクターはやえちゃん
他にも八重関連キャラで八重たんと八重さんがいます(笑)
会津会館の向かいに戦争の責任を取って切腹した家老、萱野権兵衛の家の跡
道端に武士道
その横に会津の精神
会津藩家老、西郷家の跡
お城から道路を挟んですぐのところにあり、通勤時間1分の超便利物件だったんじゃないかなぁ
西郷頼母は幕末に活躍した会津藩の家老で
藩主・容保公が京都守護職に就く事を反対したら謹慎させられ
戦争が始まったら長男以外の家族が自決し
城を出て北海道まで転戦するも敗北→謹慎
唯一の家族だった長男も亡くなり、全国を放浪したあと
会津に戻って74年の生涯を終えた。
っていう波瀾万丈なお方
八重の桜では西田敏行さんが演じられてました
西郷家から少し進んだところに会津戦戦争降伏の地がありました
この時、下に敷かれた赤い布を泣血氈と呼んで
悔しさを忘れないために小さく切ってたくさんの人が持ち帰ったといいます
鶴ヶ城に本物が展示されていました
鹿鳴館の華と呼ばれた捨松が生まれた山川家
ドラマでもそうだけど実際の山川家のみなさまとても美形で羨ましい(笑)
お昼ご飯は会津名物ソースカツ丼
カツ丼は美味しかったけど、右上の白い漬け物みたいなのがリンス食べてるみたいで、完食は無理でございましたorz
因みに私、食に興味が無いのでこの日の朝食は駅前の立ち食いそばで、夕食はコンビニ弁当(笑)
それを旅好きの友人に話したら
「ちょ!旅の醍醐味(;´д`)!」ってつっこまれました
藩校、日新館があった場所には天文台の跡だけ残っていました
松陰先生もこれを見たに違いない\(^o^)/←松陰ヲタ
この日新館から程近くに八重さんの生まれた山本家の跡がありました
現在は駐車場になっていました
150年前の面影は全くないけれど家が建ってないので立ち入ることができて良かったです(´∀`*)
看板には昔の地図が載っていて、幼なじみの時尾さん(後の斎藤一の奥さん)の家が近かったのが確認できました
最後はさっき屋敷跡にお邪魔した西郷家のお墓参りに善龍寺へ
竜宮門っていう珍しい山門
奥さんの千重子さんが自刃する前に呼んだ辞世の句があるのですが
その一節から取った「なよたけの碑」というのが立ってます
(写真では右から2番目の若干隠れ気味の石です)
夫婦のお墓
西郷さんの親戚の方が焼け野はらからお骨を拾い集めて作った一族の女性、二十一人の墓
あんまり人様のお墓って撮影しちゃいけないんだろうけど
古くて手入れされていないお墓がたくさんあって、
もしかしたら戦争で会津を追い出されて帰って来れなかった家のお墓なのかもしれないなぁ
と想像して記録しました
このお寺も結構な山の中だと思ったけれども
次の日更に山の中をさまよう事になろうとは、この時思ってもみないのであった…。
2日目に続く→
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